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「Two of Us 」
以下是官方發佈的內容,作為CD本篇發行前的故事序章
希望不管是已經決定要聽Two of Us的朋友,或者是還在觀望的你
請絕對不要錯過以下內容!

Two of Us是這近年DRAMA裡,我認為十分值得收聽的CD
故事的渲染力非常強烈,內容十分值得省思。
他們兩的對談過程,常常令我心頭一揪

希望這部DRAMA CD的名氣越來越好
將來若能以小說形式出版,就太令人期待了!
同時也期待未來有更多故事性強烈的CD發行,市面上同類型的抓氾濫了...... 


接下來請慢慢欣賞

切ない大人のラブストーリー  『Two of Us 』

 

 

 

  (視點:和泉)

Episode1 SIDE IZUMI  

俺の彼女は産まれつきの聴覚・言語障害を持っている。

初めて出会ったのは友人の結婚式。俺は中学時代からの友人である新藤健(たける)の二次会幹事をまかされることになり、彼女は新婦側の幹事だった。 

健の奥さんになる桜子さんは当時、仕事の都合でパリに暮らしていた。健は東京在住だ。約5年という遠距離恋愛の末、この春、彼女が東京勤務になることを機に、めでたく結婚する運びとなったらしい。
今日はその報告がてら、久しぶりに飲もうという健からの誘いだった。 


ひととおりの報告を終えた健は俺にこう言った。 

「なぁ、オマエ、披露宴の後の二次会の幹事と司会やってくんない?」 

職業柄、そんなに親しくもない知り合いから、もしくは、友達の友達の結婚式の司会をやってくれとかその手の頼まれごとは結構あるけれど、俺は一切断っている。自意識過剰かと最初は良心の呵責にさいなまれもしたが、一度受けてしまうと断る理由が見つからなくなると思い、ずっとそのような対応をしてきたのだ。 

「うーん。正直面倒くせぇなぁ」 
俺は健に、ストレートに俺の思いを伝えた。

「和泉、そこを頼むよ。一生に一度のことだしよ、もちろん一人でなんてこと言わねぇよ。桜子の友達も一人アサインしたから、2人でやってくれたらうれしい。だけどさ、その子も今はパリなんだ。春には日本に戻ってくるみたいだけど。桜子との調整は彼女がやってくれる予定。もちろん俺たちもできる限り手伝うから」
「わかったよ。健がそこまで頼むなら引き受けるよ」 

今回は友人である健からのたっての頼みだ。俺は自分に特例を設けて、司会兼幹事を引き受けることにした。 


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




健がいなければ今の俺はいない。
俺にとってアイツの存在はそう言っても過言ではないほど大きい。 

高校3年の春。
進路相談の際、俺は大学進学ではなく、声優の養成所へ入学を希望していた。進路相談用紙の第一希望に「声優」と書いた俺だったが、小学校の頃に離婚し、女手ひとつで俺を育ててくれ、一応進学校と言われている私立にまで通わせてくれた母親は大反対した。担任だけが「どうせやるなら本気でやれ」と、俺の決意を後押ししてくれただけだった。 

母親の反対理由はひとつ。
「夢みたいなこと言ってるんじゃない。そんなんじゃ食べていけない」

今、思うと母親の心配は親心だと理解できるが、当時は納得できるはずもなく、アルバイトでもなんでもして、自分の道を進むつもりでイキがっていた。 

それから半年後、養成所への願書締め切り日が近づいてきても、やはり家族からの同意はとれず、俺の進路はちゅうぶらりんになったままだった。 
結局母親とは平行線のまま、願書の締め切りが明日に迫っても状況は変わらなかった。
俺は決意し、出足の遅い就職活動を始めた。とりあえず就職をして金を貯め、声優学校に行こうと計画をたてた。幸い、アルバイト先の店長からうちに来ないかと誘いをもらっていたので、それに乗ろうとしていたとき健からメールがあった。

「話があるんだけど、放課後あいてる?」 

中学時代に好きなミュージシャンの話で意気投合し、中等部からの進級組が多かった高校で健や俺みたいに一般入試枠で入ってくる生徒はごくわずかだ。それもあって俺たちは高校生になっても何かにつけてツルんでいた。もちろん俺の進路についても健には話していた。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




放課後のがらんとした教室。サッカー部が走り込みをしているんだろうか――グラウンドから、規則的なホイッスルの音と、掛け声が聞こえてくる。 俺と健は机に座り、足を椅子の背に乗せお互いに向き合っていた。

「なぁオマエ、声優学校、結局どうした」
「うん。願書の締め切りは昨日だった。結局親が許してくれないから、自力で行くことにしたよ。今のバイト先で社員にしてくれるっていうから、そこで働こうと思う。俺にとって仕事はなんだっていいんだ。金を貯めたいだけだから」 
「うん。そのことなんだけどさ……俺、電話したんだ」 

話がわからない。 
「どこに? 」 
「オマエが行きたがっていた声優の学校」 
「何のために? っていうか、ごめん、意味わからねぇんだけど」 

俺には健の意図がわからなかった。 

「結論から言うわ。おまえ意地はってね? 親にさ、ちゃんと頭下げろよ。ちゃんとやりたいって。俺らは残念だけど今、経済力はゼロに等しい。親の経済力で生活が成り立ってる。これはまぎれもない事実じゃん。だけど自分の将来は自分で決めたいし、自立だってしたい。同じ男同士、プライドがくだらないとは言わねぇし、おまえの気持ちはすげーわかるけど、もう一度親に頭下げてみろよ。土下座でもいいからさ」 

健はまじめにそう言った。 
思春期特有のソレが頭をもたげる。ムキになって俺は
「なんで俺が親に土下座しなくちゃいけないわけ? そんなことするぐらいなら自力で行くよ」
と、健に言った。

「俺さ、オマエのプライドより、オマエのこれからの将来のほうが重いと思うぜ」

健はつとめて冷静にそう言う。
「担任にもう一度相談してみろよ。やりたいことが決まってるオマエを俺は実はすげぇと思ってるんだ。もっと自分のこと考えてくれ。もちろん自力で学校行くのだっていいと思うけど、もう一度だけ頼んでみろよ」
実は、健がこう言うのには理由がある。

健の親父さんは、はえぬきの経営者だ。一代で今の会社を築き、上場までさせた。
健は長男ということもあり、跡継ぎとしての重圧を一手に受けている。
彼からその手の愚痴を聞いたことはないけれど、そのプレッシャーは俺なんかでも想像するにたやすい。

当時の俺は、健の言葉を素直に聞くことができなかった。
自分のことは自分が一番わかっている。
そんな根拠のない自信と傲慢さが、若さの特権かもしれない。

2人のあいだに微妙な空気が流れ、それに耐えられなくなった俺は先に席を立った。
「うん。サンキュー。自分のことだし親のこともあるから、ちゃんと考えるわ。でも健には悪いけど、俺、頭を下げるのは無理。」

帰り道の電車の中、俺は車窓を流れる景色をぼんやり眺めながら、健の言葉を反芻した。

『オマエのプライドより、オマエのこれからの将来のほうが重いと思うぜ』 

言っていることはもっともだ。だけどどうしても素直になれない自分がいて、自分の信念をつらぬくだけなのに、なぜ親にお願いしなくてはいけないのかが納得できずにいた。

でも、それも頭のどこかでわかっている。けれど、もう願書の締め切りはすぎた。
『今さら遅いんだよ……』
俺はそんなことを考えながら、最寄り駅で下車した。


帰宅すると、母親がリビングに来いと言う。

「担任の先生から電話もらったわよ。何か相談あるんでしょ?」
「何もないよ。」
「進路のことで何かあるんじゃないの?」
「なんもねーよ。学校は自力で行くことに決めたから。就職も決めてきた。迷惑はかけない」
俺は勢いで嘘をついた。
「和泉の決意ってそんなものなの?」
もううんざりだ。今日は最悪だ。
もうほっておいてくれ。 
母親は泣きながら、
「子供の夢があるならそれをかなえてあげたいって、親ならだれしもが思うものなのよ。でもそれが苦労するってわかっているなら、そっちには行かないでほしいと思うのも親。これが最後。和泉、あなたの夢ってお母さんに反対されるだけでなくなるものなの?」 
「だから自力で行くって言ってんじゃん」
「和泉。和泉の本気はそんなもの?」
母親は本気だ。
それは俺にもわかった。

『俺さ、オマエのプライドより、おまえのこれからの将来のほうが重いと思うぜ』

健の言葉が脳内で再生された。
思春期は親兄弟よりも友人からの言葉のほうが響く。

母親の本気の言葉と涙を見て、俺は自力で行くと息巻いていたものの、本当に自分でできるのかと不安だった気持ちに気がついた。もちろん決意は固かったが、母親からの賛成がほしかったことにも気がついた。
ささくれだっていた気持ちが、まるくなっていく。

「母さん、俺のわがままで本当にごめん。でも俺、本気なんだ。途中で辞めるとか考えてない。だから学校に行かせて欲しい。母さんには迷惑かけちゃうけれど、金は働いて返していくから」

「わかった。和泉の本気、受け止めた。じゃ、お母さんもがんばる。でも和泉、生活費は自分でなんとかしてね」 
こうして、俺は急遽入学の手続きをすすめることになった。
しかし入学の願書は締め切ったはずだ。事情を話してなんとかならないか、だめもと覚悟で事務局へ電話すると、受付の人がなぜか「藤崎さんですよね?」と俺の苗字を尋ねてきた。そうだと回答すると、「お友達のかたから、藤崎さんの入学金の振り込みが若干遅れるという連絡を受けていたので今からでも大丈夫ですよ」と返答された。 
すぐにわかった。
健だ。
俺は受話器を持ちながら泣いた。


俺はこのとき健から受けた恩を(というと健は怒るだろうが)、一生忘れないと思う。
そう。この仕事をしている限り。ずっと。
そして、今の俺は当時の俺に大声で言いたい。夢の実現に変なプライドはいらない。
素直になれ。と。

そして、あの日、健が俺の母親に「もう一度和泉と進路の話をしてほしい、聞いてあげてほしい」と言ってくれたことも、俺が声優学校を卒業する日に知った。

ドラマのような話だが、これはすべて事実。 

どうしてあのとき健が俺に「お願いすること」を強制させたのか。
母親が本当はどう思っていたのか。
今ならわかる。
決して俺に頭を下げさせたかったわけじゃない。
決意とけじめをつけさせたかったんだ。


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帰り際、健から二次会幹事のパートナーになる子の連絡先、メールアドレスをもらった。その日の晩、健から二次会幹事パートナーであろう“m_kamijyo”から俺宛にメールが届いていた。 


これが、みのりと俺の初めての出会いだった。 






 (視點:みのり

Episode2 SIDE MINORI 

製菓専門学校の留学コースでパリに行って2年が経った頃、日本人留学生向けの冊子の取材を受けることになった。
聾唖(ろうあ)でパティシエっていうのが、珍しいのかも……。
オーナーから取材の話をされたとき、そんな風に思った。


私みたいな“ろう”は他の障害と違って、見た目ではわからないのがよくもあり悪くもあると思う。
だいたいの人は、最初、私たちのことを健常者だと思って接するけれど、“ろう”だと知ると、とたんに申し訳なさそうな顔をする。
今の時代は、音が聴こえなくても暮らしやすいようにいろいろなものが開発されていて、私たち自身が日常生活で不便を感じることが少なくなってきているから、自分でも特に意識はしてない。
それでもみんなからしたら、やっぱり私はかわいそうな人なんだろうな――なんて、その顔を見るたびに思う。

これはフランスに来てから感じたことだけど、この国は先進国の中でも障害に対してはオープン。現にパリでは障害者ばかりが働いている国営のカフェがあったりするし、日本のように障害や障害者に対して閉鎖的な雰囲気はあまりないかなぁなんて思う。
今お世話になっているお店のオーナーも、私の障害を受け入れて仕事を任せてくれるし、もともと喋れないから会話って意味での言語の心配はないし(笑)。

ルーヴル美術館・オルセー美術館・ヴェルサイユ宮殿……パリにはたくさんのキレイがある。それらと美味しいお菓子は、私をいつでも幸せな気分にしてくれる。

だって、キレイなものと美味しいものは、私にも平等だから。 


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最初、海外に留学するって言ったとき、お母さんもお父さんも心配してたけど、結局は許してくれた。ふたりともろう学校で先生をしているわりに、私に対しては「好きにすればいい」というスタンスで、できる限り私を普通の子と同じように育ててくれたと思っている。
コンサートに行きたいと言えば行かせてくれたし、パティシエになりたいと言ったときも応援してくれた。

私の障害は産まれつきだから、私は音がある世界というものを全く感じたことはないけれど、振動でリズムを感じることはできる。
ライブハウスなんかだと壁に身体をくっつけると振動が直に伝わってきて、結構楽しかったりする。
せっかくパリにいるのだから、オペラ座にはいつか入ってみたいなぁなんて思ってるけど、未だかなわず。お金がないよ……。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




パリでの研修も残り数ヶ月になったとき、お店に例の取材のオファーがあって、宣伝にもなるからとオーナーに言われたので、取材を受けることにした。 

取材当日、腕時計がブルブル震えた。
私の腕時計は、聴覚障害者のために開発されたもので、音や動作を振動で伝えてくれる仕組みになっている。玄関のインターホンや電話が鳴れば、時計が振動で教えてくれる。あ、目覚ましもそうだった。

『厨房に誰か来た』

右腕の振動はそれを私に知らせてくれていた。
お店へと続く通路からまっすぐ私のほうへ歩いてくる、小柄でショートヘアーのキレイな女の人と機材らしきものを持った男性。カメラマンかな? 
え? 日本人?
その人たちは私の目の前まできて、

『はじめまして。私の名前は、倉田、桜子です。カレッジの、編集をしています。今日は、よろしく、おねがいします』 

その人はゆっくりだけど手話で自己紹介をしてくれた。
久しぶりに見る日本語だった。

思わず嬉しくなって、私も手話で自己紹介をした。 
『はじめまして。上条みのりです。日本語が久しぶりで、嬉しいです』
倉田さんがカメラマンの男性に何かを聞いている。

あ、わからなかったかな? 手話、速すぎたかな?
久しぶりの日本語に浮かれてたからな。自己嫌悪……。

倉田さんが、うつむいていた私の肩を叩いた。
『ごめんね、私、まだ、すこし、だ、き、し、か手話、できない』

だ き ? 
あー、「だけ」って言いたかったのかな?

『ごめんなさい』
私は浮かれて手話をやってしまったことを“ごめんなさい”のジェスチャーで謝った。

すると彼女はバッグから手帳とペンを取り出し、広げた手帳にサラサラと何かを書き始めた。
左手の薬指には、キレイな指輪が光っていて、細い腕にはブランドものの腕時計。バッグもブランドものだった。

何かを書き終えた彼女は、手帳とペンを私のほうに渡してくれた。

字までキレイなんだ……。

自分でも嫌になるけれど、性格の悪い私が顔を出した。

そうそう。“障害を持ってる=良い人” みたいに考えている人が多いと思うけれど、全然そんなことはない(笑)。
ムカついたりもするし、悪口だって言う。

『こっちこそごめんなさい。私、みのりさんとお会いするから、手話を覚えてみたけれど、付け焼刃では自己紹介が限界だったんです。私のほうこそ努力不足ですみません。今日の取材は筆談でお願いできますか?』

渡された手帳にはそう書いてあった。

私は次のページに
「こちらこそすみません。久しぶりに見る日本語だったからつい嬉しくて。取材は筆談で大丈夫です。こちらこそよろしくお願いします」

そう書いて、手帳とペンを彼女に返した。

彼女は私の言葉を見て

「ありがとう」

と、柔らかな笑顔で応えてくれた。

私は、その笑顔を見て彼女の容姿や文字に対しての、ひねた自分の感情を恥ずかしく思った。 


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倉田さんのインタビューはすごく丁寧だったからよく覚えている。
だいたいの人は障害者に対して、いたわり? っていうのかな、傷つけないように、ってすごく気を遣ってくれる。優しくされるのはすごく嬉しいんだけど、同時にすごく申し訳なくて、それが重いなって感じてしまうときがあるんだけれど、倉田さんはちょっと違った。

微妙なニュアンスなんだけど、上からじゃないっていうか。だから聞かれたことに対しても、すごく自由に思っていることが書けた。

どうしてパティシエを目指したのかとか、留学してどうだったかとか。私自身のことをたくさん聞かれたけれど、障害で苦労したことは? という質問はひとつもなかった。

「では、インタビューはこれで終わります。ありがとうございました。とってもいいお話が聞けて、今日は楽しかったです」

倉田さんはそう書いたノートを見せてくれた。
ひととおり取材が終わったので、私は気になっていたことを素直に聞いてみた。

「“ろう”のこと、いいんですか?」

きっとこの取材は、私が聴覚に障害を持つ留学生だから選ばれたんだろうと思ったから――。


「うん。大丈夫ですよ。だって聞こえたって聞こえなくなって、異国の地で何か新しいことを始めるのは大変でしょ? それと障害は関係ないと思っています。また、みのりさんもおっしゃっていたけれど、外国では健常者でもそこの母国語がわからなければ、聞こえない、しゃべれない、と同じことですよね?」

すごく意外だった。聴者(ちょうしゃ)でも私と同じように思う人がいるんだ。

自分でもすごく嫌な性格だなと思うけれど、障害のおかげで相手が使う言葉のテンションや表情でだいたいの人となりが見えてしまう。いじわるな人、傲慢な人、粗野な人、そして本当の意味での優しさを知っている人……。 

続けて倉田さんはこう書いていく。

「私は障害について詳しくありませんが、それでいいのではと考えているんです。みなさんが日々の暮らしの中でストレスなく生活できている環境があれば、それで。私たちが過剰に気を遣う必要もないのかな、って思っています。もちろん、私たちにお手伝いできることがあればしたいと思っていますが」

「私もそう思います」

倉田さんの言葉は、ひとつひとつが心にすとんとおちてくるような、そんな感じがした。今までの人とは少し違う、すごく大人の女の人に思えたし、おしつけがましいわけじゃないのに、そこにちゃんと自分の意志がある。すごくかっこいいいなぁ、って思った。短い時間だったけれど、私はすっかり倉田さんのファンになってしまった。

帰り際、倉田さんが

「みのりさんが作った飴細工のケーキを買って帰る」

と伝えてくれたので、今日のお礼を込めて、オーナーに頼んでひとつプレゼントさせてもらった。

倉田さんはさっきまでの大人な感じとは全然違う笑顔で「ありがとうー!」って言いながら、あっという間にお店を出ていってしまった。

「元気な人でもあるんだな」

私は倉田さんの後ろ姿を見ながらそんな風に感じていた。


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取材の日を境に、倉田さんは度々お店にケーキを買いに来てくれるようになった。

「仕事で近くまで来たから、一緒にランチしよ!」
「取材でお店の前をとおりかかったから」

とか、いつも理由は違っていたけれど、倉田さんがお店にくるのはきまって私のお昼休みの時間帯だった。

最初は気がつかなかったけれど、わかったとき、すごく嬉しかった。
人にプレッシャーを与えない人っていうのかな? こういうことをさりげなくできる人って本当に凄いなぁって思った。

倉田さんは偽ることなく、障害とかも気にすることなく自然に私と接してくれる。そこに過剰な遠慮とか気遣いとかはない。だから私も倉田さんには自分の弱さも出せたし、愚痴も言えた。そしてなにより楽しかった。

いつしか、「倉田さん」、から「桜子さん」と呼ぶようになり、仕事が休みの日には2人で出かける仲になってしばらく経った頃だった。

「ねぇ、みのりちゃん、私、今度結婚するんだ。二次会の幹事お願いできる?」

そんな風にお願いされたのは。








Episode3 SIDE IZUMI&MINORI 

健と飲んだ翌日、パソコンに1通メールが届いていた。
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To:桜子、藤崎、上条
From:新藤


和泉、みのりちゃんへ


こんにちは。新藤です。
このたびは、俺たちの面倒なお願いを引き受けてくれてありがとう。
2人とも忙しいのは充分わかっているから、俺たちができることはできる限りやるので、 遠慮なく指示してください。

みのりちゃん、今回俺のほうの幹事を引き受けてくれたのは、学生時代の友人で藤崎和泉(いずみ)と言います。
海外と東京だしやり取りが大変だと思うけど、どうぞよろしくね。
もし和泉と直接話しするようなら桜子に伝えて。


和泉へ
今回は本当にありがとう。
みのりちゃんは、パティシエの修行でパリに留学してて、桜子がお世話になってる友達なんだ。
あとは和泉とみのりちゃんで何かあれば直接メールでやってもらっていいので。いろいろ手間かけるけれど、よろしくお願いします。 もちろん、俺たちも協力するので、何かあったら言ってください。

新藤
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翌日、“m_kamijyo”からメールが2通来ていた。時刻はAM4時。


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To:藤崎さん、桜子さん、新藤さん
From:上条

みなさんへ

新藤様、メールありがとうございました。
上条です。

藤崎様、はじめまして。
上条みのりと申します。桜子さんとは雑誌の取材でお会いしてから、よくしていただいています。今回はどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

今はパリにいるのですが、もうじき研修も終わって帰国するので、それまでお店のピックアップなど、私ができることであれば可能な限りやります。 パリでもぐるなびや食べログは見れるので(笑)。
よろしくお願いいたします。

このあとの詳細はメールさせていただきますね。

桜子さん、新藤さん、改めまして、ご結婚おめでとうございます。
至らない点もあるかとは思いますが、ステキな二次会になるよう、頑張りたいとおもいます。

藤崎様
改めましてよろしくお願いいたします。

上条 みのり

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To:藤崎
from:上条

藤崎様

あらためまして。上条です。
今回はよろしくお願いいたします。
桜子さんとは、取材がきっかけで仲良くしてもらっています。

さて、二次会の幹事は初めてなのと、個人的なことでいろいろご迷惑おかけしてしまうことも多いかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
現在、専門学校の留学制度でパリにきており、3月には帰国予定です。
すぐにお店の下見とかができなくて、いろいろ藤崎様にはご迷惑おかけするかと思いますが、パリでもできることがあればおっしゃってください。

早速ですが、桜子さんからお客さんの人数や会場のリクエストを聞いていますので、お伝えしますね。

■日時:200X.X月X日
■場所:※式場が鎌倉○△ホテルですので、その近くで
■会場規模人数は120人ほど


桜子さんから、藤崎さんは声優さんで大変お忙しいと聞きました。そこで、私のほうで先にリクエストに合いそうなお店を何軒か探して、それを藤崎さんに見ていただいて……という風にしようかと思いますが、いかがでしょうか?
藤崎さんからも、こういう設備があったほうがいいよーなどのリクエストがあれば教えていただけたら幸いです。

では、よろしくお願いいたしますm(__)m

上条


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To:上条
From:藤崎

上条さん

はじめまして。藤崎です。
こちらこそよろしくお願いいたします。

お恥ずかしながら、幹事というものをやったことがないので、上条さんがいろいろきいていてくれて助かりました。店の件、ぜんぜんオッケーです。
いろいろやってもらってありがとうございます。
俺もなんとなく探してみます。
設備的なリクエストは、音響設備がきちんとあるところと、ワイヤレスのマイクがあるとことくらいだけど、マイクは当日借りられると思うので、なくても大丈夫だと思います。

実は普段PCのアドレスってあまり見ないから、急ぎなら携帯のアドレスのほうに送ってもらえるとうれしいです。
アドレスは fjsk-i@xxxx.ne.jp

今回の結婚は自分も嬉しいです。いい二次会にしましょう。


藤崎


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藤崎和泉さんというかたと二次会の幹事をすることになった私は、できる限り藤崎さんの迷惑にならないよう、自分にできることは先にやっておこうと思っていた。
ただでさえ迷惑がかかるのに、場所もパリだし……。
こっちに来てから2年半も経っているので、今、日本がどうなっているのか、何が流行っているのかとかあまりわからなかったので、ネットで調べまくった。

藤崎さんの仕事は声優らしい。
このあいだ、桜子さんがうちに遊びにきたとき、藤崎さんが出ているDVDを持ってきてくれて、私に見せてくれたんだけど、戦国武将のものだった。アニメだと口話(こうわ)ができないから、何を言っているのかがわからない。そんな私のために桜子さんは手話で解説をしてくれた。日本ですごく人気があること、戦国モノなのに女性からすごく人気なんだってことも教えてもらった。中でも藤崎さんがやっているキャラクターはすごく人気があるんだよって言っていた。

『どういう声なの?』

私がそう聞くと、桜子さんは

『うーん、色でいったら、ブルーグレイ? かな? 』

『ブルーグレイ?』

『うん。何にでも合うんだけれど、差し色にも使える、意志のある色。でも冷たくない』

桜子さんは、よく音を色で表現する。ときにはカタチだったりお菓子だったりもするけれど。

画面の中でたくさんの武将たちが動いている中、藤崎さんのキャラクターだけ私にはブルーグレーに見えてきた。

桜子さんが帰ったあと、私はネットの検索サイトで「藤崎和泉」と打ち込んでみた。
すると、藤崎さんのことが書かれたホームページがたくさん出てきた。
そして、本人の写真も。なんか悪いことしているみたいで少し気がとがめたけれど、好奇心には勝てなかった。

「へぇ~、こんな人なんだー。かっこいい」

これがホームページに載っていた“藤崎和泉”という人の私の第一印象。

「さっきのアニメの武将とは随分イメージが違うんだなぁ」

そりゃそうだよね。あれはアニメだし。

藤崎さんのことが書かれた記事には、だいたい、期待の~とか、注目の~とかいろいろあったけれど、どれもいいことが書いてあった。後は、女性に人気とも。

「すごい人なんだなぁ~」

私は全然知らない世界のことだけに、リアリティが感じられなくて、ただただ、感心するばっかりだった。


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To:藤崎
From:上条

藤崎様

おつかれさまです。
上条です。
パリは今、夜10時です。日本は夕方の18時くらいですか?

お返事遅くなりました。申し訳ございません。
お店の件了解しました。
では、少々おまちくださいませ! 
音響設備のこと、また何かあれば御質問させていただきますね。よろしくお願い致します。

追伸:先日桜子さんから、藤崎さんがやっていらっしゃる戦国武将のアニメDVDを見せていただき、これが藤崎さんだよって教えてもらいました。アニメとかは詳しくないので、お会いするまでに勉強しておきますね! すみません。

上条

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To:上条
From:藤崎

上条さん

藤崎です。
アニメ、見てくれてありがとう。
武将のアニメってどれなのかな?
歴史上の人物は結構演っているので(笑)。
面白かったですか?
また感想聞かせてください。楽しみにしています。

さて、二次会のマイクのことだけど、友人に頼んだらなんとかなりそうです。
だから会場で用意してもらう必要はないです。

では。

追伸:日本とフランスの時差は8時間ですね。今AM2時なので、フランスは夜の6時? 


藤崎

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To:藤崎
From:上条

藤崎様

おつかれさまです。
上条です。

桜子さんに見せてもらったアニメは『戦国~』でした。
面白かったです。普段アニメって見ないので、新鮮でした。日本ですごく人気があるって聞きました。アニメは立派な日本のカルチャーですね。日本のアニメもテレビでやったりするし、こちらでもコスプレしている人を見かけますよ!
本屋さんに行っても日本の漫画がたくさんありますし。←でも、めちゃくちゃ高いんです!
久しぶりに日本語見たいなぁって思うんですが、やっぱり高くて手がでません・・・。

マイクの件、了解しました。

ありがとうございました。
こちらもピックアップは順調です。

追伸:
パリの街ではノエルの準備が始まりました。とってもキレイですよー。 私のお店でも、オーナメントなどの飾り付けをしました。 藤崎さんはフランスに来たことはありますか? この時期のパリはキレイですので、機会があればぜひ遊びに来てみてください。 写真は、先日デパートに行ったときに撮ったものです。キラキラしていてキレイでした。気分だけでもどうぞ!

 

では、毎日寒くなってきていますので、風邪など注意してください。


上条




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こうして俺と彼女、みのりと結婚式の二次会に関するやり取りはゆっくり続いていった。

みのりは今の日本の雰囲気がわからないと言いつつも、店のピックアップはほぼ的確だったし、披露宴会場からの距離やホスピタリティなど、男の俺では到底気がまわらない所までいろいろチェックして、セレクトしてくれていた。

当時の俺は少しずつ仕事が波に乗り始めていた頃で、忙しい日常の中で、彼女とのメールのやりとりがちょっとした気分転換になっていた。
ときどきメールに添付されてくるパリの風景もまた楽しかった。

みのりは俺の仕事についてもまったく聞いてこないし、声については全く質問されなかった。
でも、それが俺にとっては妙に心地よかった。
そういえば一番はじめに言われたのはキャラクターのビジュアルだったっけ。おっさんなんだけどな。

ま、そういうことも含めて、彼女は最初からなんかちょっとほかの女の子とは違う、不思議な感じのする子だった。






Episode4 SIDE IZUMI 

二次会の相談をしながら、お互いになんとなく日常のことを話すようになっていったけれど、何故そんな風になったのか、今でもよくわからない。メールっていうのも、気軽に話せた理由だと思うし、仕事と関係ない人だったからこそ、自分も素直になれたような気がしている。

やっぱり、人との出会いは縁だ。

今日は何気なくすれ違い挨拶も交わさなかった人と、明日には知り合いになって、言葉を交わすことだって充分ありえる。年齢を重ねるにつれ、こういった出会いへの感謝は増す。これからも日々感謝していきたいと思う。


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月に2度ほどメールのやり取りをするようになったある日、彼女が帰国するというメールをもらった。

「東京に戻って落ち着いた頃、下見を兼ねて、二次会会場で夕飯を食べませんか? せっかくの会なのに、料理が美味しくなかったら、台なしですもんね」と誘ってくれた。

俺はその案に賛成した。 

みのりは、自分の場合、就職するのが難しいから、しばらくは職場を探すので忙しいと言っていたけれど、どうやらすぐに決まったらしい。 このときの俺は、彼女の職種、パティシエは人気があるから就職が難しいのかと思っていたけれど、実は違う理由だったということを後で知った。

だから彼女が帰国してから、すぐに就職が決まったときには、「本場で学んだシュクル・フィレ(飴細工)の腕を認めてもらえた!」とメールで喜んでいた。

みのりは、ケーキなどの飾りに使われるシュクル・フィレが得意で、留学コース修了後は研修先だった店のオーナーにこのまま修行しないかと誘われ、期限付きで留学を延長したと言っていた。
彼女がアニメに疎いように、俺はケーキとか菓子のことは全くわからない。“シュクル・フィレ”なんて名前も、彼女と出会わなければ、きっとずっと知らずにいただろう。


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ある秋の天気のよい午後。俺は二次会会場の下見のため、みのりと鎌倉駅前で待ち合わせをしていた。

駅に着いたらメールしようと約束していたので、少し早く駅に着いた俺は彼女にメールをした。

「着いたよ。」

すぐに彼女からも返信があった。

「今行きます!」

しばらくして、後ろから肩をたたかれ、振り返るとそこには、小柄で目がぱっちりとしたかわいらしい女性が立っていた。

そして、彼女は
「こんにちは。はじめまして上条です」

と書かれたメモを俺に見せた。
俺は意味がわからず、その1秒のあいだに脳みそをフル回転させてみた。

「あ、はじめまして。藤崎です。」

声に出して挨拶し会釈する。
彼女は慣れたようにメモ用紙をめくって、何かを書き始めた。

「もしかして、私の障害のこと、桜子さんから聞いてなかったですか?」

うん。俺は頷いた。

「すみません。私、耳が聞こえなくて、しゃべれないんです。今日はご迷惑おかけします。ほんとにすみません。ごめんなさい」 

差し出されたメモには、そう書いてあった。

え? 聞こえない? しゃべれない? 

「あ、ううん。大丈夫だよ。こっちこそ。びっくりしちゃって。ずっとメールだったから、って、あ、聞こえないか、えーっと、どうしよっかな・・・」

俺は普通に発声し、会話してしまう。
正直、障害を持った人とのコミュニケーションのとり方がよくわからない。
友人にもいないし……。
呆然としている俺に、彼女は自分の使っていたメモ用紙とペンを渡してくれた。 あぁ、なるほど。筆談すればいいのか。
俺は彼女から渡されたメモとペンで

「藤崎です」

そう書くのが精一杯だった。

口ではつとめて冷静でも、まだ相当びっくりしている。
でも、いつまでもびっくりしていたら失礼だよな。
メールばかりだったから、まったく予想もしないこの展開に自分の思考がついていかない。
とりあえず何か言わなくちゃ。

「じゃ、お店行こっかって、あ、いっけね」

俺はまた発声して会話をしてしまう。
バツの悪そうな顔をした俺を見て、笑いながらうなづく彼女。

「わ・か・る・の?」

俺は大声で彼女にゆっくりとそう言ってみた。

彼女は、細くてキレイな左手の指を口の前でグーパー、グーパーをするように、開いたり閉じたりして、そのあと、「ちょっとだけ」というジェスチャーをした。

あぁ、「口の動きで少しわかる」って意味か。

俺が納得すると、彼女は店の方を指差して、「行きましょう」というジェスチャーをした。
俺は「あ、うん」と、これもまた声を出して返事をしてしまった。
人間、本当に想定外な出来事がおこるとなかなか冷静ではいられなくなることってあるんだな。

そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女はふわっと身を翻し先に歩き始めていた。

今思えば、この頃からみのりは俺の先を歩いていたのかもしれないな。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




一緒に並んで歩いていても、彼女とはいわゆる他愛のない会話がない。
メールではあれだけ話していたのに、まさか彼女がしゃべれないなんて。

「今日は何時に着いたの?」
「パリは楽しかった?」

通常ならそんな会話が交わされるであろう道すがら。
でも、俺たち2人に会話は……ない。

隣で歩く彼女の髪がふわっと風になびく。

このままずっと会話がないのは、まずいよな。でも無理に話すのもおかしいし、変に気をつかっても同情されてるって思われるよな。
彼女の少し後ろを歩きながら、そんなことをずっと考えていた。

歩きながら彼女がバッグから携帯を取り出し、何かを打ち始めた。
そして打ち終わった画面を俺のほうに向けた。

「すみません、私の障害のこと、びっくりさせてしまいましたね」

をを、そっか。これがあった。
俺もポケットから自分の携帯電話を取り出し、返事を打ち始めた。

「うん。まったく。だからびっくりした。」

そう打ったものを、彼女に見せる。

彼女は、
「そうだったんですね。本当にすみません。私も言ってなかったですね。今までメールだったからあまり不便を感じてなくて」
「俺、手話とかできないんだけど、大丈夫?」
「大丈夫です。お手数かけますが、メールやメモに書いていただけたら」
「わかった」

彼女は俺に「ごめんなさい」というジェスチャーをした。

鎌倉駅から店までの道すがら、俺は無意識に彼女がYES・NOで答えられる質問をばかりをチョイスしていた。
彼女がうなづいたり、首を振ったり。それだけで回答できるもの。

「イタリアン好きなの?」
「パリは楽しかった?」

正直、みのりがしゃべれないという状況には驚いたけれど、彼女自身に対してはメールでやり取りしていた印象のままなので、緊張しているとか、そういう感覚ではなかった。

あとで彼女にも言ったけれど、俺が障害に対してあまり免疫がないから、このときは悪いことしたなって思ってる。
あのときの俺の挙動不審さはあからさますぎだ。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




店に着き、ドアを開けると店員が「ご予約の上条様ですね」とみのりにきいてきた。
俺はみのりのかわりに返事をした。
奥から糊のきいた白いYシャツにベストを来たギャルソンが出てきて、「お待ちしておりました。ご案内させていただきます」と俺たちを席に通してくれた。

ほどなくして、さっきのギャルソンがメニューを持ってきて、彼女に向かってメニューの説明を始めようとしたので、俺は、

「あ、すみません、大丈夫です。ありがとうございます」

と、お詫びとお礼をギャルソンに向かって言い、そしてそのまま「何にする?」と言って、メニューをみのりに見せた。 

すると彼女はメモに、

「二次会のメニューに入ってるものにしませんか? 白鯛の~、」 

と書き付けた。 

なるほど。それもそうだよな。実際にゲストに提供される料理を食べないと下見にならないよな。 

会場選びのときにも感じてたけれど、彼女は本当によく気がまわる。これだけ気がきくということは、普段から人のことをよく見たり考えたりしているってことだよな。俺よりだいぶ年下なのにと感心する。

「藤崎さん、ワイン飲みますか?」 

みのりがメモを俺に見せた。 
俺はそのメモを貸してもらってこう書いた。 

「飲もうか。みのりちゃんは? 今日は魚だし白でもどう? 銘柄はお任せでいいなら店員さんに聞いて頼んでおくよ」 

俺は彼女が何回も返事をしなくて済むよう、回答が必要なものは、すべて1回で済むように質問をした。
メモを読んだみのりは 「OK」という指文字を俺に向けたので、俺は店員を呼び、オーダーを済ませた。

料理が運ばれてくるまでのあいだ、俺とみのりは筆談やジェスチャーで会話をした。

さすがに今までメールで何回もやりとりをしているせいか、戸惑ったのは最初だけで、だんだん自然に会話は続いていった。 

途中、彼女は申し訳なさそうに、俺のことをネットで検索したことを告白し、謝ってきた。どうやら、 「藤崎さんのことを陰で詮索しているみたいで……」というのが彼女の言い分らしい。 

言わなければわからないし、実際、俺は全然気にしてないけれど、こういうことを言うのが彼女らしいなって思った。 

だから俺はそんな彼女に、少しいじわるをしてみたくなった。 

「写真とちがった? 実物はどう?」 

そう書いたメモを笑いながら彼女に渡すと、彼女もその冗談がわかったみたいだ。笑いながらみのりから戻ってきたそのメモを見て、俺は爆笑した。 

「ノーコメント」 

そこには大きな字でそう書いてあった。 


 




 


Episode5 SIDE MINORI 

日本に戻ってきた私は、東京で就職活動を始め、いくつかのお店の面接を受けることに。そのひとつに、「シュエット」というお店があった。 小さいけれどとても丁寧な味で、お店の名前も気に入った。「シュエット」は、フランス語でふくろう。パリでは、ふくろうは幸せの象徴。 

私は面接のとき、ふくろうをモチーフにした飴細工を持って行った。それを見たオーナーのすごく優しい顔が忘れられなかったから、「シュエット」から採用の通知をもらったときは本当に嬉しかった。 

障害者は健常者と同じことをしても、すぐ「がんばってるね、えらいね」って言われちゃう。それがすごく悔しい。だから、耳のことは関係なく、私のできることを仕事として誰かが評価してくれたってことが素直にとても嬉しかったし、ちょっとだけだけど、自信を持たせてくれた。 

藤崎さんも面接の日に
「自分のやってきたことを信じていたら大丈夫だよ。 おいしいものは世界共通だしね」
そう、言ってくれた。 

就職が決まって少し安心したこともあり、藤崎さんに「そろそろ二次会のお店の下見に行きませんかと」と声を掛けてみたところ、OKという返事がすぐに返ってきた。 


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会場の下見当日、時間より早くついてしまった私は、待ち合わせ場所が見える近所の喫茶店で時間を潰していた。 
改札から藤崎さんらしい人が出てきたので、私はあわてて会計をすませ、対面にある駅の改札まで走ってかけよる。 後ろからトントンと肩をたたき、さっき喫茶店で書いた自己紹介のメモを彼に見せた。 

藤崎さんはかなり驚いている。 

「あ、はじめまして。藤崎です。」 

口話で、彼がそう言っているのがわかった。
それにしても、すごく驚いている。もしかして桜子さんたちから聞いていないのかな。私の耳のこと。
どうしよう。でも、私が困った顔をしたら、藤崎さんが困ってしまう。
そう思った私は彼に筆談をお願いした。
できるだけ藤崎さんの負担にならないようにしないと。


藤崎さんはやっぱり私の耳のことを聞いていなかったみたいだった。そんな~、桜子さん~。なんて一瞬思ったけれど、そういえば私も藤崎さんにはきちんと伝えてなかったことをすぐに反省した。 

会場になるお店までの道すがら、藤崎さんと私は少しだけ携帯の画面を使って会話をした。彼は私に対して、「はい」「いいえ」で答えられるような質問をとても自然に選んでくれた。これまでのメールのやりとりで感じていたけれど、やっぱり優しい人なんだって嬉しくなったし、かっこいいなとも思った。 

お店についてからも、藤崎さんはとても自然にメニューを決めてくれる。 ギャルソンが私に向かって何かをしゃべり始めたので、耳が聞こえないことを伝えようとしたら、藤崎さんが先にギャルソンに何かを言ってくれていた。 

さっきもそうだったけれど、藤崎さんは多分無意識でこういうことが出来る人なんだと思う。そうそう、オーダーのときだって、私の返事が1回で終わるような質問の仕方をしてくれたし。 

オーダーしてから料理が運ばれてくるまでのあいだ、私たちはいろいろな話しをした。パリのこと、藤崎さんの仕事のこと、私の就職のこと。藤崎さんは「今度作ったケーキを見せて」とも言ってくれてすごく嬉しかった。出会ったときはあんなに驚いていた彼だけれど、お店についてからは違和感なくお互い会話が弾んだように思う。これはきっとメールのおかげだろうな。 

こうして、私たちの“はじめまして”を兼ねた、下見と言う名の食事会は無事? でもないけれど(笑)、楽しく終わった。 


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春になり、私の新しい生活が始まった。初めての就職。 覚えることがたくさんで毎日大変だけれど、それでも誰かに必要とされている喜びはとても大きなものだった。 

そんな慌ただしい日々を過ごしていたら、あっという間に桜子さんたちの結婚式の日になってしまった。 

式当日、教会のステンドグラスから溢れる柔らかい光は、キレイな飴細工のようで見ているだけで癒されたし、なにより桜子さんがとってもキレイで、キラキラしていた。 でも結婚なんて、私には一生縁がないだろうなぁ。
そんなことを思ったら少しだけ寂しい気持ちになったけれど、ステンドグラスを見ていたら、飴細工の新しいデザインを思いついた。だから、ま、ヨシとしよう。 

二次会のほうはというと、藤崎さんの司会のおかげで大成功だった。やっぱり藤崎さんは有名な声優さんらしくて、会場で何人もの人から声をかけられていたし、写真も撮られていた。
私はその様子を横目で見ながら、会の邪魔にだけはならないように、ゲームや映像の準備を頑張っていたけれど、藤崎さんからさりげなく何度もフォローをしてもらってしまった。 

普段だったらできる限り自分でやりたいし、やり遂げたいって思うんだけれど、藤崎さんにフォローされるのはあまりイヤじゃなかった。というか、「気がついたら藤崎さんがフォローしてくれていた」というのが正しいかもしれない。だからかな。 

実は、私みたいな聴覚障害者は地味に不便がところがあって、たとえばエレベーター。
気をつけていても、混んでいたりすると、ボタンの前に立ってしまうことがある。
そうすると、すごく気まずい。多分、私に向かって「○階お願いします」とか言っているんだよね? 
でも私は聞こえないから、ボタンが押せない。すると、頭の上から、横から、イラっとした感じで手が伸びてきて階のボタンを押してくるのだ。本当にもうしわけなくて、私はこういうとき決まって下を向いてしまう。
これとまったく同じことが、二次会会場でもおこってしまったんだけれど、このときも気がついたら藤崎さんは私の隣に立っていて、かわりに階数のボタンを押してくれていた。 


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二次会が終わっても、私と藤崎さんの関係はなんとなく続いていた。最初は桜子さんたちも一緒だったけれど、ときどき2人きりで出掛けるようにもなっていた。誘ってくれるのはいつも藤崎さんだったけれど……。 

そして季節は夏になり、私と藤崎さんが郊外の小さな花火大会に行った帰り道。 

この日のことを思いだすたび、私は胸が苦しくなる。 

「雨、降ってきた」 

藤崎さんは走って雨宿りができそうなところを探してくれたけれど、花火大会も終わったので、あたりは真っ暗、しかも近くは民家ばかり。 だんだん雨足は強くなる。 

「困ったな・・・」 

そんなとき、藤崎さんが後ろを指さした。 とある民家のおばさんが、手招いている。 

藤崎さんは私の手をとり、そのおばさんのほうへ向かっていく。 おばさんが藤崎さんと何かを話している。 

「屋根の下で雨宿りしていきなって」 

藤崎さんは携帯の画面を見せる。 

玄関から、さきほどのおばさんが出てきて私達2人にタオルを渡してくれた。 私はおばさんに向かって 

「ありがとうございます」 

と頭を下げたけれど、こういうとき、しゃべれたらって思う。
「ありがとう」という言葉で感謝の気持ちを伝えたい。 

隣で藤崎さんがおばさんとまた何か喋ってる。 なんだろう。私のことかな? 何か私のことで迷惑かけちゃったのかな。 しかし、その予想は外れた。 

「寒くないか。って」
「大丈夫」
「よかった」 

お借りしたタオルで髪の毛なんかを拭いていたら、おばさんに肩を叩かれ、ふりかえると、温かいお茶を2つ差し出された。 

「どうぞ」 

そう言っているのが口話でわかった。 いただいたお茶はすごくあったかくて、私は精一杯今の気持ちが伝わるように、おばさんに頭を下げた。 その後、 

「ありがとうございます。私、耳が聴こえなくてしゃべれないので、お礼が言えなくてすみません」 

携帯にそう打って、その画面をおばさんに見せた。 

「そんなこと気しなくていいってさ」 

藤崎さんがかわりに教えてくれる。 

淹れてもらったお茶を飲みながら、藤崎さんと私は空から降る雨を眺め、雨宿りの時間を一緒に過ごした。 


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花火大会の翌日。 

私が藤崎さんに昨日のお礼を兼ねておばさんの家にお礼に行きませんかというメールをしようとしていたときだった。 

「みのりちゃん、明日お休みだよね? 昼くらいからってあいてる? 昨日雨宿りしたおばさんの家に、二人でお礼に行こう」 

と、藤崎さんからメールが届いた。 

「私も、同じこと言おうと思ってたんです!」 

藤崎さんも同じこと考えていたんだ。 そのことがすごく嬉しかった。 


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翌日、私達が鳴らしたチャイムを聞き、玄関に顔をだしたおばさんは、かなり驚いた様子だった。 しばらく藤崎さんとおばさんが話をしていて、何を話しているのかなって思ったら、どうやらお茶のお誘いだったよう。 
「お茶、飲んで行く?って。でも、俺、このあとまた夕方から仕事なんだ。残念だけど断るね」
私はうなずいた。 

2人で改めておばさんにお礼を伝え、私達はおばさんの家を後にした。

帰りの道すがら、
「さっき、おばさんに“彼女いい子ね。大事にしてあげなくちゃダメよ”って言われたから、うん。って答えちゃった。」 藤崎さんはそう書いた携帯の画面を私に見せてくれた。 

“彼女”って言葉にすごく恥ずかしくなって、私はうつむいてしまう。 

肩をトントンと叩かれる。 

「嫌だった? 」 

男の人から告白されたり、付き合ったりするのは初めてじゃない。 

何回か藤崎さんと遊ぶようになって、彼が今までの男の人と違うことは私もわかっている。大人ってこともあるけれど、同情とか責任感とかの類で言っているわけじゃないこともわかっている。でも、今はよくてもきっと付き合っていくうちに私のことを面倒くさいって思うときがくるに決まっている。そして彼は優しいからきっとそれを私には言わない。藤崎さんはすごくかっこいい。だからこそ、私とはつり合わない。 

その事実が私の頭の中でぐるぐるぐるぐる……。
私のことで誰かに我慢させたり負担になるのだけは絶対にイヤだ。特に彼には絶対に。それに藤崎さんには普通の女の子が合っていると思う。 

「藤崎さんには、普通の女の子がいいですよ」 

こう答えるのが私の精一杯だった。 

「そう言うと思った。もしかして、みのりちゃんが負担?」 
「私のことはどうでもよくて、藤崎さんが」 
「そういう言いかたはよくない。じゃ、どうでもいい子を俺は好きなわけ?」 
「ありがとうございます。でも私……私、昨日、おばさんのところにお礼に行こうって言われて、すごく嬉しかったんです。藤崎さんも私と同じこと思ってたって思って。でも、私……」 

藤崎さんは、私の頭をポンポンと叩く。 

「みのりちゃんのそういうところ、好きだよ。いいよ。返事は待つよ。」 

私がソレを読んだことを確認すると、藤崎さんは私の目のまえに左手を差し出した。 

だけど――
私はどうしてもその手に自分の手を重ねることができなかった。 だから藤崎さんの左手に気づかないフリをして、私はそっと右手に携帯を持ち替える。 

藤崎さんは静かに所在なさげな左手を下ろすと、正面を向いてまた駅への道を歩き始めた。 

どうしてもあの左手の先を考えてしまう自分がいる。 

藤崎さん、
ごめんなさい。 



 


 



Episode6  

あの日からみのりは意図的に、藤崎和泉を避けるようになっていった。
相変わらず彼からの誘いはあったが、何かと理由をつけて断っていた。


「で、みのりちゃんは藤崎くんのことが好きなんだ」 

みのりは、友人であり、和泉の友人の奥さんでもある桜子と川沿いにあるカフェのテラス席で向い合ってランチをしていた。相談がある、とみのりが桜子を呼び出したのだ。
2人の目の前には、カフェオレとアイスティー、そして桜子とみのりの携帯タブレットが置かれている。
みのりと桜子はお互い、チャットシステムを使いながら、会話をしていた。

みのりが桜子に返信する。

「わからないんですけど、迷惑はかけたくなくて」

桜子:「藤崎くんは何て言ってるの?」

みのり:「待つ……って」

桜子:「そっか。みのりちゃんは誰かと付き合うの初めてじゃないよね?」

みのり:「はい」

桜子:「みのりちゃんの中で、その人達と藤崎くんの違いって何?」

みのり:「なんか、凄い人すぎて。そんな人と付き合うなんて……」

桜子:「そっか。私、前にもパリでみのりちゃんに言ったことあるけれど、私にはみのりちゃんの気持ちをきっと全部は理解できない。でも、だからこそわかることもある。それは、みのりちゃんはもっと自信持っていいってこと。私が持ってないもの、みのりちゃんはたくさん持ってるよ。パティシエの技術はもちろんだけれど、人への思いやりとか、夢を実現させたこととか。年下だけれど尊敬もしてるよ。きっと、みのりちゃんがこんなに悩むのは、藤崎くんに迷惑かけたくない=嫌われたくない ってことなんじゃないのかな? でもそれって好きってことなんじゃないかなって思うけれど、どう?」 

図星だった。 

みのりは桜子からの鋭い指摘に、返信の手が止まった。
きっと自分は藤崎さんのことが好きだ。
しかしそれを認めてしまうことは、みのりの中では世界を変えることと同じくらいの意味を持っている。

みのり:「そうかもしれません。でも、どうすることもできません」 

桜子:「みのりちゃんの正直なその思い、藤崎くんにちゃんと話してみたら? このままの状態でいるほうが、藤崎くんに対して失礼だと思うよ。というより、断るにしてもちゃんとした理由じゃなきゃ藤崎くんは納得しないと思うな。なんとなくだけど。好きな人が他にいるって言われたほうがまだ救われるかな。あ、これは私の場合は、だけどね」 

みのり:「そうですよね。自分でももっとよく考えてみます。桜子さんの言ってることはわかります。私、きっと、自分が傷つくのが怖いんだと思います。人に対して過度な期待をしないようにきちゃっているんで。これはもう仕方ないんですけど」 

桜子:「うん。そういうクールなところもみのりちゃんのいいところじゃない? でも、人を好きになると、自分に自信なくなるよね。すごく性格悪いなーって思うこともあるし、些細なことで彼を疑ったりすることもある」 

みのり:「わかります。私の場合は自分の問題なんですけど、どうしてもいろいろ考えちゃって。迷惑かけるんじゃないかとか、面倒くさいんじゃないかって」 

桜子:「うん。みのりちゃんの立場だったら当然だと思うよ。でも、みのりちゃんからしか話を聞いてないからなんとも言えないけれど、藤崎くん、みのりちゃんのこと本当に好きなんだね(笑)。大事にしてるのが、私にもわかる。だから、私がい言うのもおかしいけれど、YESでもNOでも、ちゃんと返事してあげてほしいなって思う」 

みのり:「はい。でも今日桜子さんと話せて、すっきりしました。なんかずっとぐるぐるしてたんで」 

桜子:「そっか。ならよかった。でもさ、そういうときは一人で考えてちゃダメだよ。だいたい一人で考えているときってよい結論にはならないから」 

みのり「はい。ありがとうございました。ほんとすみません。こんなことでわざわざ」 

桜子:「全然大丈夫。みのりちゃんの恋バナ聞かせてもらったしね(笑)。あ、そうだ。話全然変わるんだけど、今度「シュエット」取材させてもらいたいんだけど……」 

みのりと桜子はその後、とりとめのないおしゃべりを楽しんで、カフェを後にした。 

別れ際、桜子はみのりに向かって「頑張って」と手話で伝えた。
みのりも「ありがとう」とそれに答えた。 

桜子と別れたみのりは、空を仰いで太陽を見上げる。 

「もう夏もおわりかぁ」 

和泉と出掛けた花火大会が、随分前のように感じた。 

『このままの状態のほうが、藤崎くんに対して失礼だと思う……』 

桜子の言葉がみのりの心にリフレインする。 何かを決意し、みのりはバッグから携帯を取り出し、メールを打ち始めた。 


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「おつかれさまでした、藤崎さんこれ」

収録のブースから出た和泉はマネジャーから、来週のスケジュールを渡された。 

「来週も、結構パンパンなので、藤崎さん、よろしくお願い致します」
マネジャーが元気よく言う。

「あ、そうだ。藤崎さん、この後自宅へ帰られます? 僕、事務所戻るんで、車で送っていきますよ」 

「サンキュー。でも、今日はちょっと寄るところあるから大丈夫」
和泉はそう言いながら、バッグの中から腕時計を取り出して、時間を確認し、左手にはめた。

「わかりました。じゃ、おつかれさまでした。」

「おつかれ」

和泉はマネジャーにそう言い、収録スタジオを後にした。

さっき休憩時間に携帯にメールが届いていた。送信者は上条みのり。
ここのところ、彼女に意図的に避けられていることは、和泉にもわかっていた。
彼女の性格を考えれば当然のことだろう。
自分の気持ちの中では、充分時間をかけたつもりだったが、彼女にとっては早かった行動だったかもしれないことを、和泉は少し後悔していた。

スタジオから駅までの坂道を歩きながら、和泉は手をつなぐことをやんわり拒否されたあの日のことを思い出していた。



待ち合わせの場所には、みのりのほうが先に着いていた。
古民家をリノベーションしたという静かな和食ダイニングの個室を、みのりは指定した。

待ち合わせ時間から10分ほど遅れて、ジーンズ姿で白いシャツに、グレーのストール巻いた和泉が入ってきた。


「遅れてごめん」

和泉はみのりに対してジェスチャーでそう告げた。

「大丈夫です」

みのりはいつものメモ帳にそう書き、和泉に見せる。

「1ヶ月ぶりだね。 どう? 元気にしてた? 仕事は慣れた?」

和泉はやはり彼女が答えやすいように質問を投げかける。

「はい。藤崎さんは? 相変わらず忙しいですか?」

「うん。おかげさまで。最近大きな仕事が決まったんだ。それのおかげで、仕事が増えてきたよ」

「おめでとうございます! よかったですね!」

本当は「どんな仕事ですか?」と聞きたいが、みのりはその一言が言えずにいる。
相手がその問いかけに答えることが困難だからだ。

和泉もそれはわかっていた。だからこそ自分から伝える。
こういう気遣いは、みのりと出会ってから覚えた配慮のひとつだ。
以降、和泉は仕事先で会う人達にもこうした気遣いができるようになっていた。


「ありがとう。すごく有名なゲームのキャラクターで、悪役なんだけど、俺も個人的に好きなゲームだから、嬉しいんだ」

「じゃ、余計に気合はいりますね」

「そうだね。頑張らないとね」

約1ヶ月ぶりの再会を果たした2人の会話は思ったよりスムーズだった。
和泉がメニューからオーダーをしてくれ、二人は久しぶりの再会と、和泉の仕事のお祝いを兼ねて乾杯をする。
注文した料理がテーブルに並んだタイミングで、みのりが切り出した。


「先日はすみませんでした。また、せっかく誘ってもらっていたのに、断ってばっかりで」

「そんなこと気にしなくていいよ」

みのりは自分の気持ちが耐えられるうちに、話を済ませてしまおうと思い、矢継ぎ早に言葉をつなげていった。

「藤崎さん、私、やっぱり付き合うとか、そういうのは難しいです。藤崎さんのことが嫌いとかじゃなくて、自分の問題です。本当にごめんなさい」

「この間は俺もごめん。みのりちゃんの気持ちも考えないで、急いじゃって。今日、誘ってもらって嬉しかったよ。もう会ってくれないかもって思ってたから。だから、今日は、改めて俺の話、ちゃんと聞いて欲しいと思ってここに来たんだ。だからちょっと長いけれど聞いてほしい」 

和泉はそう伝えると、そのまま携帯に文章を打ち込みはじめた。そのあいだ、みのりはカチカチを打ち込む和泉の指先と表情を見ていた。
その真剣な表情に、みのりは少し緊張していた。 

最後まで打ち終えた和泉は、携帯をみのりに渡す。
携帯の画面は真っ黒で、そこにはびっしり文字が、言葉が、和泉の思いが書かれていた。

「人ってさ、誰かをいいなって思ったり、好きだなって思うのって、もちろん第一印象は顔とかもあると思うけれど、結局はその人自身に惹かれるんだと思う。俺、みのりちゃんと一緒に二次会の用意とかをしているうちに、この子すごいなって思ったんだ。人への気遣いがハンパじゃない。きっとそれには、いろいろ理由があると思うんだけど、あぁいうことが自然にできるって本当にすごいことだと思ったんだ。それに、自分の夢も持ってて、叶えてる。これだって誰にでもできることじゃない。でも、みのりちゃんのすごさって、きっと自分じゃわからない。だってきっと本人からしたら、当たり前のことをやってるだけだと思うから。でも、それでいいんだよね。評価って人がするものだから。自分でするものじゃない。
俺はみのりちゃんを見ていて、最初は尊敬に近い感情を持っていた。でもだんだんとそういうみのりちゃんを好きだなって思うようになっていった。もっと知りたいなって思ったから遊びににも誘った。
きっとみのりちゃんは耳のことで俺に迷惑かけたくないとか、そう思ってるんだろうなってことは俺も気がついていたけど、お互い、変な意味じゃなくてまだまだ不完全な人間だし、たぶん一生そうなんだと思うよ。俺だってコンプレックスの塊。みんないつも自信なんかないと思うんだ。正直、俺なんていつ仕事がなくなるかわからないし、声優なんて体のいいフリーターと同じだからね。それに比べたら、みのりちゃんのほうが定職に就いてて、手に職もある。俺からしたらよっぽどすごい。ま、どっちが凄いとかそういうことでもないと思うんだけど。少なくとも俺はそう思ってる。不完全だからこそ、自分に足りないものを持ってる人をいいなって思うのは、結構普通かなぁって思うんだけど、どう?」 

和泉の言葉はみのりの胸に深く刺さった。
すべて読み終えたみのりは、しばらく何も言えずにいた。
彼のありのままの心は、携帯の小さな画面からも伝わってきた。

和泉の言葉がみのりの心を動かす。
しかし、みのりは手放しで喜べないでいた。

最初はいい。でも、途中で筆談が面倒くさくなったり、携帯でのやりとりが手間になり、口話が聞き取れなかったりすると 「あ、なんでもない。大したことじゃないからいいよ」
なんて言われる。
相手は気遣ってそう言ってくれてるのに、みのりはひどく申しわけない気分でいっぱいになってしまう。そのつらさをみのりは充分すぎるほど味わってきた。

また同じことの――。

そこまで考えてみのりは大事なことに気がついた。

「これって、結局全部自分のことばっかりだ」

今、自分が考えていることは、すべて『自分』が中心になっている。
和泉の思いや気持ちをないがしろにしてしまっていた。
相手はこんなにも自分を理解しようとしてくれていて、知りたいとも言ってくれているのに、こんなに歩み寄ってもらっているのに……。 

ろう学校の卒業式の朝、みのりは父親に言われた。

「これからはおまえに心ない言葉を言ったり、悲しい態度を取ったりする人と出会うことがあるかもしれない。でも世の中は、聞こえる人がほとんどなんだから、“どうしてわかってくれないの”ではなく、まわりを理解し、自分自身が聞こえないことを受け入れていきなさい」と。

みのりには以前、補聴器をつけ、口話も必死で勉強した時期がある。自分が聞こえないことを受け入れられず、聴者、健常者になろうとすることで自分を肯定しようとしていたのだ。

和泉からのまっすぐな言葉を受けて、みのりはその当時の思いが蘇ってきていた。
自分を受け入れた先にしか、自分の未来はない。そのことはみのりが一番よくわかっていた。
また、先日桜子から言われた、

「このままの状態でいるほうが藤崎くんに対して失礼だと思う……」

という一言も彼女の心の奥をゆさぶった。

私は藤崎さんが好きだ。その事実を受け入れて、前に進まなくちゃいけない。
過ぎゆく毎日のその先にしか、未来はないのだから。


みのりはそう思い直し、長い沈黙のあと、ひと呼吸おくと、自分の携帯に気持ちを綴り始めた。


「藤崎さんの言葉、心に刺さりました。とても嬉しいです。ありがとうございます。私、今、藤崎さんから言われて、あの花火の日からずっと自分のことしか考えてなかったって気がつきました。実は私、昔、自分が聞こえる人になろう、聴者になろうと必死だったときがあるんです。ろう学校にいるときはみんな聞こえないからその生活が当たり前だったけれど、外に出たら全く違う。そうしたら、とたんに聞こえない自分自身がダメな人間に思えてきたんです。聞こえないって事実が受け入れられなくなったんです。でも、頑張ったって完全に聞こえるようにはならないし、うまくしゃべることもできませんでした。そしてますます自分を責めるようになりました。でもある日、聞こえないってことや人に助けてもらわなければ、私は生きて行けないってことを自分自身が受け入れなきゃダメなんだって気がついたんです。そう思ったら、すごく楽になりました。私、今、藤崎さんの言葉を見てそのときの気持ちを思い出していました」

そこまで打って、みのりは携帯の画面を和泉に見せた。

それははじめて和泉に向けて語られるみのり自身のことだった。
その告白をゆっくりと読み終えた和泉は、彼女の携帯にそのまま自分の言葉を打ち始めた。


「みのりちゃん、大事なこと俺に話してくれてありがとう。今日また、みのりちゃんのことひとつわかった気がする。そしてやっぱりそういう考え方をするみのりちゃんが俺は好きだなって思う。俺にはみのりちゃんの気持ちを全部理解するのはやっぱり難しい。でも知りたいし、わかりたいって、ますます思えた」

2人の会話は続く。

「藤崎さんは私のこと、すごいって言ってくれたけど、私も二次会のときとか藤崎さんに同じことを思っていました」

「ありがとう」

和泉はみのりにそう返す。


そしてこう続ける。

「もう一度ちゃんと言うよ。みのりちゃん。やっぱり俺と付き合ってくれませんか? 」


みのりに迷いがなかったわけではなかった。

しかし、それは以前のような自分本位の躊躇ではない。聞こえない自分、和泉に惹かれている自分を受け入れた先にある自分自身の変化への不安に似た感情だった。

和泉から渡された携帯の画面をしばし見つめていたみのりは、一瞬和泉のほうを見てから返事を打った。

「はい」

彼女からの短い返事を見た和泉は、思わず

「よかった」

という安堵の声を漏らした。

そして、そんな彼に続けてみのりからひとつの提案がされた。

「藤崎さん、ひとつお願いがあるんです。できれば手話は覚えないでくれませんか? そういうのなんかイヤで。わがまま言ってすみません」 

和泉は心の中で「彼女らしい」と思いながら、その提案を受け入れた。

「了解。手話は無理に覚えない。だったら俺からもお願いがある。これからは言いたいこととか、したいことは遠慮せずにちゃんと俺に言って欲しい。いつかケンカをするときがくるかもしれない。でも、今日みたいに、お互いちゃんと話していこう。それに俺はまだまだ障害の知識もないから、これからいろいろ教えて欲しい」 

みのりもその提案を受け入れた。

「じゃ、とりあえず乾杯しよう。俺達が付き合いはじめた記念? かな」 

和泉はそう伝えると、自分のビールジョッキを持ち上げ、みのりのほうに向けた。
みのりのジョッキに飲み物はほとんど入ってなかったが、みのりも自分のジョッキを和泉のジョッキにコツンと合わせた。

和泉は注がれた残りをいっきに飲み干すと店員を呼んだ。

「すみません! 生2つ!」

久しぶりに清々しい気持ちで、和泉は大声を出した。 








Episode7  

和泉とみのりが付き合い出してから、3ヶ月ほどしたある日の夜、みのりと和泉はいつものように、インターネットのビデオチャットで会話をしていた。 

「来週、休みが取れそうなんだ。みのり、久しぶりに鎌倉に行こうよ」 

「賛成。せっかくだから、あのお店でランチしようよ」 

「いいね。あと、俺、ちょっと行きたいところもあるんだ」 

「どこ?」 

「すごく雰囲気のいい喫茶店があって。このあいだ旅番組のナレーションをやって知ったんだけど、みのりと行こうと思って」 

「和泉の仕事は羨ましい。
美味しいお店とかレストランとかの情報入るもんね」 

「それはあるな。俺、雑誌とかほとんど読まないし、テレビもあまり観ないから。実は俺の情報はほとんど仕事がらみのことが多いな(笑)」 

「そうなの? じゃ、このあいだのマリーアントワネットっぽいスイーツももしかして・・・」 

「あ、墓穴を掘ったかな。でもさ、いつかみのりの店のナレーションも来るかもな」 

「そっか。そういうこもあるかもしれないんだね。コラボだね(笑)。じゃもっと頑張らないといけないね。来週の予定が、わかったら、また教えて」 

「了解」 

2人にとって、このビデオチャットは大事なコミュケーションツールだ。
顔を見ながらお互いキーボードへ言葉をタイプしていく。
携帯のメールもいいけれど、和泉はみのりから教えてもらったこのシステムをすごく気に入っていた。
また、それはみのりも同じだった。 

付き合い始めてから、和泉は前にも増して、みのりと過ごす時間に安らぎを感じるようになっていた。そしてみのりもまた、だんだんと和泉に心を預けていけるようになってきていた。


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みのりと付き合い始めてから、和泉は犬を飼い始めた。
もともと好きだったこともあるが、一番の理由はそれではなく、やはり不規則な和泉の仕事のゆえ、彼女と待ち合わせをしてもなかなか時間どおりに待ち合わせ場所にいけないことが多かった。人が多いところでの待ち合わせは彼女にとって危険もある。だから、一旦和泉の自宅で待ち合わせをして出掛ける、というのが、2人のあいだでの決まりごとのようになりつつあった。
そんなとき、自分を待っているあいだ、彼女のいい遊び相手になってくれればいいなと思い、犬を飼おうとしていることは内緒にしたまま、みのりと一緒にペットショップに買いに行ったのだった。


ペットショップに入り、ショーケースの中にちんまり入っている、猫や犬を眺めながらみのりは

「かわいい」 

と、何度も言っていた。

「触らせてもらったら?」

和泉がみのりにそう言うと、みのりは 

「え? 触っていいの?」 

と、少しびっくりした表情をした後、すごく嬉しそうな顔をした。 

ケース下段にいる、黒いラブラドールの子犬を見つけたみのりは 

「あの子かわいいですよ。真っ黒なんだけど、目がきらきらしてて」 

と、ケースに張ってある顔の写真を指さしてそう言った。 


和泉はみのりが指を指すほうに目をやると、そこには、くるんと小さくまとまった黒い塊がいた。
和泉はかがんで、その黒い塊を覗きこむ。
そしてケースのガラス窓をコツコツと指で叩いてみた。

その塊が、ひょいっと形を変えた。 

みのりは和泉の肩をポンポン叩き、「かわいい」ということを表現していた。 

和泉は黒い塊よりも、彼女のその仕草のほうがよっぽどかわいいなと思い
見ていたが、ケースの中にいる黒い塊、黒いラブラドールの子犬に目をやった。 

たしかに、かわいい。 

全身真っ黒で、黒目が大きく、じっとこっちを見つめている。 

みのりは相変わらずその子犬のケースに張りつき、なでる仕草をしている。 

和泉はみのりの肩を叩き 

「触らせてもらおう」 

と言い、店員を呼び、ケースの中から子犬を出してもらった。
和泉の片手に乗ってしまうほどの大きさの子犬は、抱きかかえるみのりの手にしがみついてきた。
みのりは子犬を抱きながら何かを言いたそうにしている。
しかし、子犬を抱いているため両手がふさがっていて、伝えることができない。 

「ごめんごめん。貸して」

和泉はみのりから子犬をそっと受け取ると、胸に抱きとめた。 

みのりは、携帯の画面を和泉に見せる。 

「すごくかわいいね。小さい」 

和泉は大きく頷いた。 


「なぁ、オマエ、俺のうちくるか? みのりと仲良くやってくれるか?」 


子犬は和泉の問いかけに「く~ん」と答えた。 


みのりは犬を抱いた和泉に「藤崎さん、犬買いにきたんですか?」と聞いてきた。
至極まっとうな質問だった。
和泉は今日ここへ来た目的をみのりに教えてなかったのだ。

抱いていた犬をみのりに返した和泉は、

「うん。どれを買うかは決めてなかったけれど、もし飼うことになったらみのりも会う機会が増えるだろうし、一緒に決めてもらおうと思って」 

子犬を抱きながら和泉の携帯の画面を見たみのりは、子犬と和泉を交互に見て微笑んだ。 

こうして和泉は、黒いラブラドールの子犬を家族として迎え入れる
ことにし、名前は響きがよいという理由から、哲学者の名前から拝借した「ニーチェ」と名付けたのだった。


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「和泉、ニーチェ、今何してるの? 寝てる?」 

チャットシステムの途中でみのりが聞いてきた。

「今はケージの中で寝てるよ? 見る?」

「いい、寝てるなら起こすとかわいそうだから」 

「そっか。じゃあとで写メ送る」 

「ありがとう」 

「でも、寝てる時のニーチェはほんとうに黒い塊だよ」 

「それがカワイイんだよー」 

和泉には、わからなかった。起きて動きまわっているニーチェのほうがよっぽどカワイイ。 

「動いているほうがもっとかわいいよ」 

「和泉はわかってないなー。でもいいなー。ニーチェを見ていたら私もペット飼いたくなってきたんだけど、このアパートはペット不可だからその前に引っ越さなくちゃ」 

「じゃ、それまではニーチェを可愛がってよ」 

「もちろん! 今度和泉の家におじゃまするときはニーチェのおやつ、たくさん持っていく! 最近ペットでも食べられるケーキとかもあるみたいだから、いつか私もニーチェのために作ろうと思っているんだけどいい?」 

「いいなニーチェ。俺もニーチェになりたいよ(笑)」 

「ごめんなさい。私、はしゃいじゃって」 

「冗談だよ。だけどみのりがそんなに可愛がってくれると思ってなかったから。犬、本当に好きなんだね」 

「実家では飼えなかったから」 

「そっか」 

ニーチェが和泉の家に来てから、みのりは和泉を待つ時間が楽しくなった。
和泉は仕事が不規則なこともあり、約束がダメになったり、待ち合わせの時間から1時間も遅れたりすることなどはしょっちゅうだった。
やはりみのりも最初はそんな和泉の仕事を理解できずに、怒りもあったが、最近ようやく慣れてきた。

そんなときにニーチェの登場である。

和泉を待つあいだ、みのりはニーチェといろいろ話をしていた。
みのりは言語をうまく発音することはできないが、声は出せる。
昔、変な声だとバカにされて以来、みのりは人前では発声をしなくなったが、ニーチェの前では自然と声が出てしまっていた。

「今日もお父さんは遅刻ですね~」 

「おなかすいてる?」 

などの簡単なものだったけれど。 

和泉の作戦は大成功だった。 


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みのりの店が定休日の日の朝、和泉から彼女にメールが届いた。 

「収録が午前中で終わりそうなんだ。もしよかったら、昼飯食おうよ」 

和泉からの誘いだった。
待ち合わせは、和泉の仕事現場の近くを指定された。

みのりは、約束の時間より少し早く待ち合わせ場所に着いてしまった。
すると、ビルの自動扉から、和泉が出てきたため、みのりはかけよろうとすると、和泉の後ろにはとてもキレイな女の人がいた。2人は楽しそうに話をしている。 


仕事仲間だろうか。

みのりはしばらく遠くから2人の姿を見ていた。
この場所からでは、みのりの姿は和泉には見えない。 

「そうなんだー。和泉くん彼女できたんだ」

「はい。今度一緒に飯いきましょうよ。紹介したいんで」

「全然オッケー。私も和泉くんの彼女と話してみたいな」

「俺も、伊賀さんに会ってほしいです」

「じゃ、都合のいい日またメールして。じゃ、おつかれ~」

「おつかれさまでした!」

和泉はスタジオの玄関で、事務所の先輩でもある伊賀恭子とそんな話をしていた。
みのりと待ち合わせしていた和泉は、携帯メールを送信する。

「今終わったよ。どこにいる?」 

和泉からのメールを受信したみのりの脳裏には、和泉と一緒にいた女性がチラつく。
必死に「ただの友達、仕事の人だって」と自分に言い聞かせても、ヤキモチだとわかっていても、不安になる。

「みのり?」 

急に肩を叩かれ、思わずびくっとしてしまった。

驚かせてしまったと思い、和泉がみのりに謝った。 

「ごめん」

みのりもあわてて「ごめん」というジェスチャーをし、心にある和泉に対してのモヤっとした感情を隠した。 

和泉はそんなみのりにまったく気が付かず

「みのり、今度、俺の先輩と一緒に飯行こうよ。さっきまで現場で一緒だった先輩、俺が全然売れない頃からすごくお世話になっている人で、みのりのこと話したら、会いたいってさ」

やっぱり仕事の先輩なんだ。あからさまに安心するみのり。
思わず笑みがこぼれる。 

「いいよ。でも、私が聴こえなくて話せないこと、ちゃんと伝えてね。緊張するなぁー」 

「緊張するって言う割には嬉しそうだね。みのりのことはちゃんと言っておくよ。ありがとう。じゃまた詳細はメールする」 

みのりは大きく頷くと、和泉の腕に自分の腕を絡ませた。

「どうしたの? 珍しいね今日は」

「たまには」

たまに、じゃなくて、俺はいつでもいいんだけどな。
和泉はひとりごとのようにつぶやく。

「何?」という表情で和泉の顔を覗きこむみのり。

その顔がひどく幼く見え、愛しく思えた和泉は思わず、みのりの頭をポンポンと2回叩いた。

「なんでもないよ。腹減ったね、どこいく?」 

そんな和泉の問いかけの携帯の画面を見た彼女からは 

「寒いからこそ、暖かい部屋で贅沢に昼ビールしようよ! 」 

と返ってきた。 

せっかくいい雰囲気だったのに、ビールって……(笑)。 

和泉は内心がっくりしつつも、自分の顔を見ながらニコニコしている彼女を見て、なんとも言えないしあわせな気持ちを味わっていた。 






Episode8  


あれから2年――。 

和泉はゲームの悪役のキャラクターが当たり、名実とも人気声優の仲間入りを果たした。それからというもの、ナレーションの仕事や外画の吹き替えの仕事が増え、忙しい日々を送っている。 

みのりは相変わらず『chouette(シュエット)』で腕を振るっている。最近はみのりの飴細工が評判になり、店は時々女性誌や情報番組に取材されるまでになっていた。
みのりもまた、忙しい日々を送っていた。 

幾つもの夜を2人で過ごし、朝を迎える。
そして言葉と気持ち、時間を重ね、一緒に話す。
一緒に眠る
一緒に起きる
一緒に食事をする

どこの恋人同士でもやっている、普通のことが、お互いにとっては大切な時間だった。 


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みのりが和泉のマンションで一夜を過ごした水曜日の朝のこと。
水曜は彼女の店の定休日だ。 

午前中から仕事がある和泉は、みのりより先にベッドから抜け出し、着替えをしていた。そんな和泉の後ろ姿を、みのりは、まだ和泉の温かさが残るベッドの中で、眺めている。

「来月のみのりの誕生日、どこか行きたいとこ、教えて」 

和泉は着替えの途中でベッド脇まで来ると、スタンドの横にあるメモ帳にサラサラとそう書き、みのりに見せる。まだ自分のベッドの中にいるみのりの前髪をかきあげ、額にキスを落とした。


「どこでもいいの? だったら長崎に行ってみたい」 

みのりは和泉にそう伝える。 

メモを見た和泉は、 

「旅行は無理だ」 

とひとりごちた。 


みのりからのリクエストに和泉は 

「ごめん。全日のオフは難しい。別の場所を考えておいて。長崎は今度ちゃんと予定立てて一緒に行こう」 


そう伝えた。 

みのりはそのメモを見て、正直がっくりきた。
ここのところ、あまり2人で出掛けていないし、和泉も仕事が忙しそうだし、久しぶりに旅行にでも行ってのんびりしてもらいたかったんだけどな……そう思っての提案だったが、休みが取れないのは和泉のせいじゃない。和泉が忙しいことはいいことだし、なによりわがままを言って和泉を困らせたくない。みのりは和泉が気にしないように、元気に返事をした。

「わかった」 


着替え終わった和泉は、その返事とみのりの表情を見て、まだベッドで寝ているみのりの横に腰掛けた。 

「口、みてて」 

和泉は口話をみのりに促した。
大切なことを伝えるとき、和泉がみのりに必ず言う台詞だ。 


みのりは頷く。
と、同時に、和泉のノドに手をあてた。
このみのりの行動も、和泉の気持ちを理解したうえでのことだった。 

「みのり、ごめんな」 

音は聞こえなくても、手をあてたノドから振動が伝わる。 

3回と4回。 

「みのり」「ごめんな」 


みのりは、ベッドから体を起こして、和泉と並んで座ると、和泉の手のひらに 

「大丈夫」 

と、描いた。 

和泉はそのままみのりの顎を持ち上げ、軽いキスをした。 そしてみのりを抱きしめ、 

「ごめんな」 


もう一度、そう呟いた。 

和泉は自分の仕事のせいで、どうしてもみのりをひとりにさせたり、寂しい想いをさせたり、不安にさせたりすることが多い。そんな思いをさせたくないと思っても、今日みたいな表情をされると、正直堪える。

和泉の仕事は休みが不規則だ。みのりもそれは理解しているが、最近和泉はそれに甘え過ぎていた。みのりはわかってくれるハズ。みのりなら。と……。
だからこそ、和泉は今年のみのりの誕生日には、あるものをあげようと決めていたのだ。
和泉はみのりを抱きしめたまま、彼女への思いを反芻していたら、彼女に背中を叩かれた。

「時間、大丈夫?」 

あ、いっけね。 

あわてて、用意を済ませ、玄関に向かうと、 玄関までニーチェが走って追い掛けてきた。 みのりも、パジャマのまま見送りにくる。 


「いってらっしゃい」 

みのりはそう言うかわりに、和泉に手を振る。 

「いってきます」 

和泉はみのりの頬にキスをした。 

そしてニーチェの頭をなでながら 

「みのりのことよろしく」 

と言い、玄関のドアを締めた。 


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「お相手様の指のサイズはおわかりですか?」 

「8号です」 

「かしこまりました。少々おまちくださいませ」 

和泉はある日の午後、ヘプバーンの映画で有名な宝飾店に来ていた。
目的は、みのりへ指輪を買うためだった。2週間後に迫ったみのりの誕生日に、和泉はみのりにプロポーズをしようとしていたのだった。
彼女の指のサイズは先日偶然知った。仕事で指ぬきのサイズが必要だったらしく、先日目の前でサイズを図っているところを目撃したのだった。 

みのりは仕事柄、普段宝飾品は付けない。それは和泉も知っていたが、でも、彼女に指輪を贈ることは、自分の中でなにかけじめのような、決意のようなものだった。

みのりの華奢な指にあうよう、ビーズ セッティングのダイヤモンドがセンターストーンを抱くようにデザインされた繊細なリングを和泉は選んだ。
名入れをするかと聞かれたため、和泉は T MINORI F I と依頼した。

普通の恋人同士なら当たりまえにできるデートの待ち合わせや、旅行の約束すらしてあげることができない和泉。みのりは今まで一度も和泉を責めたことはないが、約束がダメになるたびに見せる我慢した笑顔はもう見たくなかった。

これからもずっと俺がそばにいるよ、そういう安心と約束を、和泉はみのりに早くあげたかった。
そして和泉自身も、もっとみのりと過ごす時間が欲しかった。


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みのりの誕生日まであと3日になったとある夕方。

収録の休憩中、和泉の携帯にマネジャーから1本の電話があった。 

「藤崎さん、例のゲームのメーカー担当が藤崎さんと次回作の件で打ち合わせしたいそうです。日程はしあさっての夜19時からなんですけど……」 

しあさっては、みのりの誕生日だ。
夜は一緒にレストランに行く約束をしている。

「ごめん。俺、その日ちょっと約束があって。リスケできない?」

「すみません、一応候補日を何日かだしてもらったんですが、その日しか藤崎さんの予定があいてなくて」 

和泉は一瞬考えたが、 

「わかった。じゃ、それで進めて」 

そう言うと、マネジャーからの電話を切った。 


「まいったな……」 

和泉はみのりにどう説明しようか考えていた。 


結局和泉はその日の夜、みのりのアパートへ行き、事情を話した。 


「ほんと、ごめんな。そのかわり、別の日に必ず埋め合わせするよ。その日は1日ずっとみのりと一緒にいられるようにするから」 

申し訳なさそうにそう言う和泉を見てみのりは、 

「仕事じゃしょうがないよ。それにその人、和泉にとって、大事な人なんでしょ? 私は大丈夫だから」 

そう伝えた。 


和泉は今日ほど自分の仕事を恨んだことはなかった。大切な人の誕生日ですら自由にならないのか。なんのための仕事なんだ。
しかし、そうは言っても、今までがむしゃらに、自分のためだけに目標に向かって進んできたし、またそうあるべきだと思っている。そしてプロポーズを決めた今は尚更仕事を頑張ることが、みのりへの愛情表現だとも感じていた。


「来週になったら、休みの予定がわかるから、その日は必ず」 


「わかった」 

みのりはものわかりの良いフリをしながら、内心、そう言うしかないないと思っていた。
駄々をこねても仕方がない。「どうして? 旅行もダメ、誕生日もダメ」「私との約束のほうが先だったじゃない」「誕生日くらい一緒にいて」……。 そうやって和泉を責めることはとても簡単だ。
しかし、ここで和泉を追い詰めても、和泉の困った顔を見るだけだということも、みのりが一番よくわかっていた。
自分が我慢するのは平気だ。
和泉の仕事の邪魔になりたくない。
みのりはまた、自分のわがままを胸の奥に仕舞いこんだ。


和泉はみのりのアパートからの帰り道、運転席から見える高層ビルの明かりを機械的に流しながらため息をついた。

「結婚の話は仕切りなおしか」 


そんなときFMラジオから、陽気なDJが、リスナーからのハガキを読む声が聴こえてきた。和泉は思わずラジオを切り、アクセルを強く踏んだ。 


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結局、みのりの誕生日を改めて祝うことができたのは、三週間後だった。
その日、和泉は、約束どおりみのりのために午後から翌日までオフをとった。
待ち合わせは渋谷の大型ビジョン前。
人ごみが心配だったが、みのりが見たい映画があるということで、久しぶりに街中での待ち合わせにしたのだ。

「まずいな、収録がおして遅刻だよ」 

和泉は急いで駅の改札を抜け、待ち合わせ場所に走る。駅前の大きなスクランブル交差点。信号は赤。 

通りの向こう側で、歩いているみのりの姿を見つけた。 

和泉はジャケットの内ポケットに入っている指輪の箱を、もう一度確かめた。 

「OKしてもらえますように」 

祈るような気持ちと、早くみのりに会いたい気持ちを、和泉は信号待ちの時間に乗せた。
「みのり? みのり!」 

~To Be Continued~


※続きは 本編のドラマCD『Two of Us』でお楽しみください。

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